数日前の予報では台風が来そうだったけれど、夜のうちに過ぎ去り、ぴーかん。
5時に目が覚めたので、ゴミをまとめて、水切りかごの食器を片付けた。上の部屋に戻ると、2号さんは目を覚ましていて、ピョンピョンと墓穴の人の上を跳ねていた。朝ごはん、さすがに今日はあまり食べたくなく、バナナを半分こ。
お迎えの人は予想より早めに来た。お別れの時間をゆっくりとってもらえた。30分くらいはあったか。花は2号さんにも入れてもらった。頭を撫でていたら、こうできるのもあとちょっとなのかとか…
そのあとはなんだか、拍子抜けするほどあっという間だった。蓋がしまったときは、泣いてしまった。
そのあとはなんだか涙も出ず…むしろ妙なテンションになってしまい…人といると、話さなきゃとなって、いかんね。
でも、顛末を話したり説明したりすると、だーっとなるので、やはり、おかしい状態なんだろうな。
しばらく人と接せず暮らして、やりすごしていこう…人と会うのもメールが来るのも怖いな。ナーバスなので傷ついて、相手のことを嫌いになりたくない。とりあえず、いまのところグイグイ来る人がおらず、ただ自分の気持ちでいられるので、ありがたい。無理な励ましでなく、そっとしてくれるのがありがたい。
もう会えないんだなぁ、というのがひたすら寂しい。
<いない>という喪失感は、「<いない>という存在感とともに生きている」のかもと思えることがあります。そして、「いない」からこそ、「いつでも自分の中にいる、ずっと一緒に生きている」と思えることがあります。
— NICUサポートプロジェクト (@nicu_fight_25) 2017年7月1日